手筒花火の歴史

手筒花火とは、1メートルほどの竹筒に火薬を詰め、それを人が抱えて行う噴出式の花火です。
轟音とともに炎が吹き上がり、その火柱は10メートルを超えます。
手筒花火を抱える人間は、シャワーのように降る注ぐ火の粉の中で仁王立ちし、最後に「はね」
と呼ばれる筒の下方向への爆発で終わります。

手筒花火のもっとも古い記録は、愛知県豊橋市の吉田神社の伝わる「三河国古老伝」にある
「永禄元年天王祭礼祀ノ花火ト云フ事始メル」という記述です。
ここにある永禄元年とは、西暦に直すと、1558年、今から約460年も前のことです。

その後始まる江戸時代、徳川の膝元であった三河や遠州地方では、
幕府による銃と火薬の規制が緩やかであったことから、
当地での花火文化が盛んとなり、それが受け継がれ、現在に至っていると言われています。